遡る事128年前の明治23年に起きたある遭難事故。
オスマン帝国(のちのトルコ共和国)の親善特使が明治天皇に謁見した帰りの船が台風で遭難した。
村人たちの必死な救護にもかかわらず、乗組員649名のうち生き残った者はわずか65名。
それから95年後、イラン・イラク戦争勃発から5年後(1985年)、
イラクによる首都テヘランへの空爆。
日本の商社マンとその家族、大使館の人達の必死の避難と日本への脱出計画
各国は民間機の運航から救援機へ臨時運行便を出すが日本の外務省や航空会社は
「イラン・イラク両国の安全保証の取付けがない限り救援機は出せない」と事実上の運航拒否。
各国の航空会社も当然自国民優先、もし余裕があればその次はその他のヨーロッパ人の救出。
自衛隊機も救援は出せない。
そしてイラクのサダム・フセインから「48時間後にイラン全土の上空を飛ぶ飛行機はすべて撃ち落とす」との声明が発表される。
残された時間は24時間というギリギリで奇跡のイラン脱出。
その陰には、あるトルコ勤務の商社マンと当時のトルコ大統領の友情が・・・・。
あとは家に帰って続きを読みます。
著書:日本、遥かなり
著者:門田隆将
作文は金城善雄でした。