二十歳の頃、初めて東京渋谷の居酒屋でアルバイトをした。その店は「高級やきとり」と
銘打ってかなりの繁盛店で、都内に17店舗ある内のひとつだった。いつもお客さんが列を
なしていて、あまりの忙しさに従業員全員がいつもカリカリしている中に、方言交じりの
言葉しかしゃべれない私が入って来た。
その店独自のメニュ-や数の数え方、全員が早口で何を言っているのか分からなくて、
仕事の流れを止める度に毎日何度も「ばかやろう!何やってんだ!」と、大声でどやされた。
ただ足手まといの存在だった。賄を食べている時も「どうせお前も逃げるんだろう。早く荷物
まとめて沖縄に帰れ!」従業員から言われたりした。
私が入る半年前に、2人の沖縄出身の従業員が突然社員寮から逃げ出した事もあって風当たりは
強かった。アルバイトに行くのが嫌でしょうがなかったが、友人の紹介だった事と「沖縄の人は
すぐ逃げる」という言葉を払拭したかったので、「どんな事があっても辞めない」と決めていた。
半年もするとやっと仕事に慣れ、少しずつ従業員とも会話が出来る様になり、少しずつ私に対しての
接し方が変わってきた。1年たった頃、店長と2人で100席のホールを切り盛りした。通常は4,5人
いるのだが、なぜかこの日は店長と2人でのホール係り。週末の金曜日だった。頭の中がパニックに
なりながらもどうにか閉店まで仕事をこなした。
店先の「のれん」をはずし全員で、ビールで乾杯した時、店長が笑顔で「いや~オニちゃん。よく
ここまで頑張ったね~。すごいよ。」と、言ってくれた。従業員も「よくやった」「お疲れさん」と
誉めてくれた。初めて世間から認められた瞬間で、とても嬉しくてたまらなかった。
「これでやっと辞められる」と思った。
店長の一言が私に、「見知らぬ土地でもやっていける」という自信を与えてくれ、その1年後、
店長の紹介で本社の経理の仕事をするようになった。
今日は、キンキンに冷えたビールと美味しい焼き鳥を食べたいと思う。
最後まで読んでいただき有難うございました。 感謝! 鬼塚明人