10月31日午前3時頃、けたたましいサイレンの音で目が覚めた。
ずっ~と鳴り止まないので、大変なことが起きたんだと思ったが、
何もできるわけがないので二度寝。
その後ニュースで首里城炎上と分かり「エ~ッ!」と思わず声をあげてしまいました。
翌日ネットニュースで、簡単に首里城の歴史を解説していました。
「…大正時代の終わり頃、首里城を管理していた当時の首里市は、
財政難に陥り首里城を解体する事を議会で決定。
・・・山形県出身の建築家が大事な文化遺産を壊すわけにはいかないと、
東京で奔走し運動を広げ首里城は国管理となりました。
その後、首里城の補修工事を数年かけて行いました…
昭和8年、首里城は国宝に指定されました。
城としての国宝ではなく、拝所沖縄神社としての国宝です。
・・・それは源為朝伝説に由来し、為朝は保元の乱(源平合戦)で敗れて、
伊豆諸島から漂流し今帰仁村の運天港にたどり着きました。
その後、大里按司の妹と結ばれ男児が生まれ、それが舜天王になったという伝説です・・・。」
「戦前までの首里城には、祈りの御神体として舜天王・察度王・英祖王・尚圓王・尚思紹王が
祭られ沖縄神社として鎮座していました。
戦争で首里城は炎上し、御神体は 首里の弁ヶ岳に移しました。
平成の首里城建設にあたり、その御神体は弁ヶ岳に置いたままで、もともとあった首里城には戻さなかった・・・」
下の写真は弁ヶ岳にある御神体。琉球国王と書かれ上記5人の国王の名が記されていました。
11月16日首里城に行きました。ちょっと焦げ臭く、もちろん正殿付近は立ち入り禁止でした。
しかし観光客は多く、焼け跡の残る建物を遠くからカメラで撮っていました。
首里城の火災は今回で5回目。文化財も約500点失ったという。
悲しい出来事で、沖縄県民にとって大きな損失になりました。
歴史に忠実な形で、威風堂々とした首里城の再建を願っています。
最後まで読んでいただき有難うございました。 感謝! 鬼塚明人